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I. 忍び寄る危機

II. 科学的メカニズム

III. 影響

IV. 問題克服に向けた方策

進行する海洋酸性化

海は今、かつてないレベルの二酸化炭素[CO2]を大気から吸収しており、多くの地域で海水の水素イオン濃度指数[pH]が低下しつつある。つまり酸性化が進行しているのだ。

海洋酸性化の加速は、海洋生物の存在そのもの、ひいては生態系、人々の生活・経済活動を脅かす深刻な危機だ。この現象はどのようなメカニズムで発生するのか?そして最悪の事態を避けるためには、どのような対策が可能なのか?

世界の海・沿岸部の環境は様々な要因によって、極めて大きなストレスに晒されている:

地球温暖化

貧酸素化

海面上昇

プラスチックの環境流出

化学物質汚染

森林破壊

海洋酸性化は、これらの問題と比べると認知度が低い。しかし海洋生物へ同様、あるいはそれ以上の悪影響を及ぼしかねない現象だ。

世界全体で排出されるCO2は、2021年時点で推定370億トンに達している。

2020年を除き、排出量は年々増加の一途を辿っているのが現状だ。

0.009

10億トン

2021

2020

2000

1950

1900

1850

1800

1750

資料:Andrew, Robbie M., & Peters, Glen P. (2022年) The Global Carbon Project's fossil CO2 emissions dataset (2022v27). Zenodo.

海は毎年25%程度のCO2を吸収している

CO2は、自然界における生物学的プロセスでも発生するが、その多くは海などによって大気中から吸収され、長期間にわたる生物学的プロセスを経て分離される。温暖化の影響は、こうした作用によって緩和されてきた。

しかし今、CO2排出量は海の処理能力を超えるレベルまで急速に増加している。その結果として悪化しているのが海洋酸性化だ。

一部の海洋生物には、すでに深刻(場合によっては破壊的)な影響が及んでいる

酸性化が現在のペースで進めば、人類(特に食生活・経済活動)にも甚大な被害をもたらすだろう。

“我々人類は一つの運命共同体として、破壊的状況へ突き進んでいる”

Steve Widdicombe

Plymouth Marine Laboratory 科学統括ディレクター
Global Ocean Acidification Observing Network (GOA-ON) 共同議長
Ocean Acidification Research for Sustainability (OARS) コーディネーター
Steve Widdicombe 氏

海では今、何が起こっているのだろうか?

I. 忍び寄る危機

II. 科学的メカニズム

III. 影響

IV. 問題克服に向けた方策

科学的メカニズム

酸性化が海の化学反応にもたらす影響

海表面に到達したCO2は分解され、水分子と反応することで炭酸[H2CO3]となる。

炭酸がもたらす影響

一部の海洋生物は、外敵から身を守るための炭酸カルシウムの殻が作りにくくなる

海洋生物の成長・繁殖を妨げ、寿命にも影響を及ぼす

海水のpH値(0〜14で評価)は海洋酸性化を測定する二大インジケーターの一つだ。

過去100年で海表面のpH平均値は8.2から8.1以下へ減少。その半分以上が過去40年に起こった減少であり、海洋酸性化が加速する現状が見て取れる。

データ・タイムスケールの引用元: ETH Zurich

一部の海域(特に沿岸部)ではpH値がすでに8を下回っている。

CO2が現在のペースで排出されれば、世界の多くの海域で2100年までにpH値が8を下回る見込みだ。

Andrew Yool 氏の許諾を受け、下記の論文から掲載: HS Findlay and C Turley 2021年. Ocean acidification and climate change. In: TM Letcher (Ed), Climate change: observed impacts on Planet Earth (Third Edition)

水質にばらつきが見られる沿岸部では、公海よりもpH値の計測が難しい。

なぜ沿岸部でpH値が大きく変化するのか?

その理由としては主に三つの要因が考えられる:

湧昇

北米・南米の太平洋側、北西アフリカなどの沿岸部では、CO2を多く含んだ深海の海水が海面・海岸へ定期的に上昇する。

生物学的プロセス

例えば、光合成の際には海水中に含まれるCO2が消費される。一方、有機物が分解される際には、海水中にCO2が放出される。

人類の活動

例えば生活排水・化学物質の流出は、CO2吸収との相乗効果によって海表面の酸性化を加速させる。

“太平洋北西部の海表面では、pH値が7.7まで低下している。これにより、海洋生物の殻・骨格の成分であるアラゴナイトの飽和度が低下し、溶解しやすくなっている。こうした海域では、沿岸部に生息する海洋生物が酸性化の影響を受けはじめている。”

Richard Feely

National Oceanic and Atmospheric Administration (NOAA)

太平洋海洋環境研究所

上級科学研究員

アラゴナイトの飽和度低下は、海洋酸性化の進行を裏づけるもう一つの証拠だ

アラゴナイトは天然炭酸カルシウム[CaCO3]の結晶構造の一つで、軟体動物の殻やサンゴの内骨格を構成する物質だ。

アラゴナイトに対する海水の飽和度が低下すればするほど、殻・骨格は溶解しやすくなるため、海洋生物は生存に不可欠な外殻・骨格の形成により多くのエネルギーを必要とする。

アラゴナイトの飽和値が3を下回ると、こうした生物はストレスを受けるようになる。そして1を下回ると、無防備な状態に置かれた殻やその他の骨格は溶解しはじめる。

飽和値:

3.2725

1982

資料:OceanSODA ETHZ(ETH Zurich)

北極海・南極海では飽和値がすでに1まで低下し、生物に深刻な脅威をもたらしている(温度の低い海水は特にCO2を吸収しやすい)。

海表面におけるアラゴナイトの飽和値

(注:今後の予測値は、現状のペースでCO2排出量が増加し続けることを想定したもの)

2000

資料:R Danovaro et al, The Significance and Management of Natural Carbon Stores in the Open Ocean (2014年)

“海水の酸性化・温度上昇・貧酸素化は相乗効果を生み、環境問題をさらに深刻化させている”

Steve Widdicombe

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II. 科学的メカニズム

III. 影響

IV. 問題克服に向けた方策

影響

海洋酸性化が今後もたらすダメージを正確に予測するのは難しい。しかしいくつかの沿岸部では、生態系・経済への影響がすでに明らかとなっている。こうした事例を参考にすれば、CO2の増加抑制・削減といった対策を怠ることで生じる損害を推測可能だ。

例えば太平洋北西部のカキ養殖産業は、過去15年にわたり海洋酸性化の脅威にさらされてきた。

オレゴン州ウィスキー・クリークやワシントン州ダボブ湾では、カキの幼生の生育ができなくなっていた。酸性化した海水の流入によって幼生が死滅したためだ。 

養殖業者は科学者の支援を受け、海水の酸性度軽減に成功。再び幼生の生育が可能となり、産業と雇用の維持につながった。

太平洋北西部における貝養殖産業(2015年時点)

2億7000万ドル

経済活動

3000

雇用

経済活動・雇用に関するデータの引用元:A Barton, G Waldbusser, R Feely et al, Impacts of Coastal Acidification on the Pacific Northwest Shellfish Industry and Adaptation Strategies Implemented in Response (2015年)

科学者は将来的影響に関するモデル分析を進めており、IPCC[気候変動に関する政府間パネル]が策定した四つの気候変動シナリオ[RCP(代表的濃度経路)シナリオ]に基づく予測を明らかにしている:

仮に低位安定化シナリオが実現したとしても、暖水域のサンゴや極地域など冷水域の生物は2100年までに深刻な影響にさらされる見込みだ。CO2排出量が高レベルでとどまった場合には、同年(そして一部では2050年)までにさらに多くの生物が脅威に直面するだろう。

テキスト・イラストの引用元: JF Gattuso et al, “Contrasting futures for ocean and society from different anthropogenic CO2 emissions scenarios”, Science 349 (2015年)

ケーススタディ:翼足類

シーバタフライ(海の蝶)と呼ばれる翼足類のグループは、海の生態系・食物連鎖に極めて重要な役割を果たしている。

高緯度において、翼足類は鮭のような商業的・経済的に重要な多くの魚類にとって必要不可欠な食物である。

モデル分析の結果によると、高位参照シナリオ[RCP8.5]が現実のものとなれば、高緯度海域の翼足類が2050年までにさらされるリスクは極めて大きい。

資料:S Comeau, R van Hooidonk in onesharedocean.org

経済への影響

海洋酸性化の経済的影響に関する研究は依然として限られているが、特定の国・地域を対象とした調査は存在する。高レベルのCO2排出が続く想定で作成された気候変動シナリオを元に、2100年までの貝養殖産業への影響を予測した研究はその一例だ。

2300万〜8800万ポンド

英国

S Mangi, et al, The Economic Impacts of Acidification on Shellfish Fisheries and Aquaculture in the United Kingdom (2018年)

7500万〜1億8700万ポンド

英国

S Cooley & S Doney, Anticipating ocean acidification’s economic consequences for commercial fisheries (2009年)

〜4億ドル

米国

D Narita, K Rehdanz, R Tol, Economic costs of ocean acidification: a look into the impacts on global shellfish production (2012年)

>10億ドル

ヨーロッパ

D Narita & K Rehdanz, Economic impact of ocean acidification on shellfish production in Europe (2016年)

“世界には、貝養殖産業がもたらす経済価値・雇用に依存する地域や沿岸部コミュニティが数多くある。海洋酸性化の進行は、こうした人々にとって深刻な脅威となるだろう。貝をはじめとする海産物を主な食料源とするコミュニティにとっても大きなリスクだ。”

Frédéric Gazeau

Laboratoire d’Océanographie de Villefranche (LOV)

副部長

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問題克服に向けた方策

海洋酸性化の克服は、国連の持続可能な開発目標[SDGs]の中でも重要な位置を占める課題だ。目標14は、“持続可能な社会のために海と海の資源を守り、持続可能な方法で利用する大切に使う”ことを謳っている。

また目標14.3は、“あらゆるレベルでの科学的協力の促進などを通じて、海洋酸性化の影響を最小限化し、対処する”ことを掲げている。

海洋酸性化の進行を食い止めることは今なら可能だ。しかし迅速に行動を起こさなければならない。

特に重要となるのは次の三つの方策だ:

CO2の削減

生態系のレジリエンス強化

研究活動の
さらなる加速

CO2の削減

これは特に優先度の高い課題だ。現状を超えたレベルでCO2の大気放出が続けば、レジリエンス強化や研究活動の加速がもたらす効果を損なってしまう。

今世紀中頃までにネットゼロを達成するためには、2030年までに世界のCO2排出量を2010年時点の数値から45%削減する必要がある。

大気中のCO2を大幅に削減できれば、海洋酸性化がもたらす最悪のシナリオを回避可能だ。その実現は、我々の行動にかかっている。地域・国・国際レベルで迅速かつ効果的な対策を打ち出せば、問題克服は可能だ。しかし残された時間は限られており、今すぐに行動を起こすべきだ。

レジリエンス強化

長期的な保護活動に向けて各国政府が設置した海洋保護区[MPA]は、海水温上昇・海洋酸性化の緩和・克服に向けた実験を行う格好の場だ。例えばCO2隔離技術の開発など、温暖化防止に貢献する[climate-smart]取り組みの拠点として有効に活用することができる。

英国をはじめとする国々は、今後こうした取り組みを積極的に拡大する意向だ。

また再生可能エネルギーなどを使って、海水から直接CO2を抽出する技術の実証実験も進められている。開発に成功すれば、こうしたプロジェクトを実質的効果が期待できる規模まで拡大すべきだろう。

ブルーカーボン生態系など自然を活用したソリューションも、酸性化の進行抑制に有効だ。例えば沿岸部の湿地帯に生息するマングローブは、大気から炭素を取り込み、水に含まれるCO2を削減している。また海草も海水中のCO2を吸収し、長期間にわたり貯留することができる。

研究活動の加速

海洋酸性化とその影響については、依然として未知の領域が多い。

沿岸部における酸性化進行の条件・影響をさらに解明するためには、次のような分野でさらなる監視・研究活動を進める必要がある:

  • 沿岸部で見られる酸性化現象、そして海洋生物に及ぼす影響の違い

  • 海洋酸性化と沿岸部コミュニティがもたらす相互作用

またCO2隔離技術、自然ベースのソリューションがもたらす効果を監視・特定・評価するためにも、さらなる研究が必要だろう。 

“我々は対策を始めるために必要な情報を既に手にしている。海洋酸性化のプロセス・影響については未知の部分もあるが、これを行動しない理由にすべきではない。”

Steve Widdicombe

海洋酸性化に関する知見を共有し、関連データの入手・評価を支援していただいた下記の専門家の皆様(敬称略)に、この場を借りて御礼を申し上げます:

Steve Widdicombe

Plymouth Marine Laboratory 科学統括ディレクター

Global Ocean Acidification Observing Network (GOA-ON) 共同議長

Ocean Acidification Research for Sustainability (OARS) コーディネーター

Helen Findlay

Plymouth Marine Laboratory

生物海洋学者

Richard Feely

National Oceanic and Atmospheric Administration (NOAA)

太平洋海洋環境研究所

上級科学研究員

Frédéric Gazeau

Laboratoire d’Océanographie de Villefranche (LOV)

副部長

Luke Gregor

ETH Zurich

環境物理学グループ

博士研究員

PODCASTS

A podcast series, led by Charles Goddard and Naka Kondo at Economist Impact, talks to leading experts around the world about the science of chemical pollution in the oceans - and the most promising pathways to tackle the scourge.

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